北方領土問題の背景と経緯について

北方領土問題の背景と経緯を詳しく教えてください。

2国の中間に位置する島々や,国境を接している国同士などで,ある地域の帰属が争われる事例は世界的にも数多く存在します。たとえば,カシミールや南沙諸島,フォークランド諸島(マルビナス諸島),マヨット島などが挙げられます。

現在いわれている北方領土問題は,直接的には第2次世界大戦以降のことですが,背景を理解するには19世紀まで遡って考える必要があります。

  • 1855 年に締結された日露修好条約(日魯通好条約)は,日本・ロシア間の国境に関する最初の条約です。この条約においては,国後島以南の北方四島は日本領,ウ ルップ島(得撫島)以北の千島列島はロシア領,サハリン(樺太)については国境を設定せず,両国民の混在地と定められました。
  • 1875年の千島樺太交換条約では,サハリン(樺太)はロシア領,千島列島は日本領と定められました。
  • 1905年のポーツマス講和条約で,サハリン(樺太)の南半分が日本に割譲されました。

以上のように,第2次世界大戦までは,日本とロシアの国境は両国の合意に基づいて確定していました。

第2次世界大戦後のサンフランシスコ平和条約では,日本が千島列島と南樺太に対する権利と請求権を放棄することが定められました。しかし,北方四島は, 戦前の経緯を見ても一度もロシア(ソビエト)領になったことがない日本固有の領土です。日本は,歴史的な経緯からみても北方四島は条約でいう千島列島には含まれず,この点は条約交渉中の経緯からみても明らかであると主張しています。また,当時のソ連は同条約に参加していないため,日本が放棄した千島列島と南樺太についても,ソビエト領であると確定したことにはならないとしています。

これに対しソ連の主張は,条約の内容は締結国以外にも有効であり,北方四島は日本が放棄した千島列島に含まれるというものでした。両国の基本的な立場の違いは現在まで至っており,北方領土問題は現在も未解決です。

そのため,日本の検定地図帳では,北方領土は日本領,南樺太と千島列島は帰属未定地域となっています。そのため,国別に塗り分けられている地図では,南樺太と千島列島には色が塗られていません。